


元々、福喜は仕出しを商う料理屋だったのですが、三代目の祖父、福島喜太郎が旅館業へと乗り換えたことで、福喜旅館としての営業が始まりました。祖父は、江戸中期に建造された旧古河屋邸の格式ある造りにいたく感銘を受け、それを購入するに至りました。その後四代目の父、喜佐男も祖父と同様に歴史と文化に興味を示し、多くの古美術を収集するようになりました。また、歴史、文化に精通する権威者と親交を深めてまいりました。

しかしながらその父が約20年前に52歳という若さで突然他界し、その後、母、満洲野と二人三脚でこの福喜を営んでまいりました。女将が奮闘する宿として注目されるなどして、プロが選んだ旅館百選より「料理」「おもてなし」「宿の演出」「雰囲気」の項目から「小規模和風の宿」として全国十軒のうちに選ばれました。

今ではその母も他界して、妻の直子と夫婦で旅館業を営んでおります。私たち夫婦も先代の意思を引き継ぎ、この福喜旅館をますます魅力ある旅館にしていきたい所存です。食事、茶事、古美術展覧など全国の方々に一流の格式をお伝えし、昔のよき時代をみつめていただきながらご利用していただきたく、節に願います。



小浜は、京文化とともに、江戸中期より北前船の寄港地として栄え、日本で初めてゾウやオウムが渡来した所としても有名です。
当旅館福喜はその北前船の船頭の屋敷を保有していて、ご希望の方には内部の拝観も可能となっています。(要予約)。屋敷の中には京文化や南蛮文化また大陸の文化を感じる家具調度や掛け軸等も残っていて、改めて小浜が歴史の中継点と感じることが出来ます。

千石荘は文化十二年(1815)に五代目古河屋の嘉太夫が建てた入母屋造り瓦葺屋根です。式台から杉戸をあけると書院二室からなる豪壮な造りです。建築材料は杉の柾目で、庭を広く見せるために角の柱を取り払った高度な建築法で建てられています。ふすま絵、屏風絵などに狩野派一門の絵画が置かれ、さらに蓬莱式書院庭園などすべて藩主を迎えるための格式を備えた造りとなっています。
なお、旧古河屋別邸が正式名称で千石荘の名は先々代の喜太郎が付けた名前です。古河氏は狩野派の画家をこの別邸に呼んで絵を描かせるなど芸術文化を愛した回船問屋として知られています。日本の回船問屋の歴史を語るとき、海商古河屋の活躍は欠かすことが出来ない存在となっています。

豊臣秀吉は組み立て式の茶室を作り、京都御所や伏見城などでたびたび茶会を催しました。淀君の妹・お初を小浜城主・京極高次の正室に迎えたときにも秀吉が茶会に招待したとされています。
先代の福島喜佐男は、この大阪と小浜の文化の結びつきの際に茶会が催されたことに感銘を受けました。そして、その当時の秀吉の組み立て式茶室をそのまま復元してみたのが、この「黄金の茶室」です。
一階配膳室を利用して作られた茶室の大きさは間口約2.7m、奥行き約3mで材質は総ヒノキ。障子から壁、床の間、天井などすべて漆を下地に金箔が貼り付けられている豪華なつくりになっています。

先々代福島喜太郎と先代喜佐男が収集した骨董品・古美術・書画も数多く所有しています。様々な文化と小浜の接点を想像してみるのも当旅館ならではの楽しみです。




















